個性と個人差

今回のお話しは完全に私見です。

独断と偏見の塊です。

ただ、こんな感覚、考え方、捉え方もあるよーっていうのを知ることっていろいろ楽になることにつながる実感があるので、書いてみました。

共感、否定、納得、拒絶、意味わからん、etc

どんな感想でもなにか感じてもらえたら嬉しいです。

私はポジティブな意味で使われる時の個性という言葉が嫌いです。

そのポジティブには歪さを感じるから。

個性。

唯一無二、オリジナリティ。

この言葉には優劣や尊さという意味はないのに、いま使われている個性という言葉は、無理やりな尊さを持たされているように感じる。

唯一無二。オリジナリティ。

そんなの当たり前。

全ての人は存在そのものが唯一無二でオリジナリティがある。

だから希少でなにものにも代え難い、存在そのものが尊いというのは当たり前。

それなのに、個性という言葉は、その存在そのものが唯一無二でオリジナリティがあることを無視しているように感じる。

唯一無二でオリジナリティがあるだけでは足りない。

人という存在は、唯一無二でオリジナリティであるだけでは価値がない。

それに加えて他の人が持っていない希少価値があるものがないと価値がない。

そうやって価値があるものを生み出すことを、ザラザラした不快な呪いのような力で強いられている。

個性という言葉にはそんな印象を受ける。

個性という言葉は商品に対する値札のように感じる。

歪で息苦しい。

そういった意味での個性は、必要ない。

私は個性ではなく、個人差という言葉を使いたい。

個性は、あるorない。

個人差は、差がどんなものでどの程度か。

個人差は、個性よりも無機質な感じがして、人それぞれ違いがあるというシンプルなことを表していると感じる。

そこには優劣や希少性なんかない。

「〇〇を好きな人たちの中で私が世界で一番好きです!好きランキング1位です!」

これは他の人よりもずば抜けてるから私が嫌いな意味での個性。

じゃあ20位だったら?500位だったら?10,000位だったら?

何位以上なら個性と言える?

視点は上下を位置づける順位のみ。

「私は〇〇がこんな感じで好きで、好きになったのはこういうことがあったから。〇〇のここが好き!」

これは個人差。

順位じゃなくて、どんな風に?なんで?どんなところが?という、内容。

個性は、人と比べる時の視点がとても少なかったり一つしかなかったりするように感じる。

個人差は、いろんな視点で違いを見るように感じる。

ポジティブに秀でているという意味での個性は、努力をしないと身に付かない。

もしくは、自分の意志とは関係なく持って生まれたセンス。

個人差は、ただ生きているだけで生まれる。

人はただ存在するだけで尊く、個人差はその尊さを彩る。

全ての人が尊さを彩っていて、その彩りに同じものはない。

だから、個人差も全て尊い。

個性なんか無くていい。

ただ生きているだけで、世界に一つだけの自分を、自分だけの彩りが輝かせていく。

たったそれだけのことで、それが全て。

だから、ただ生きているだけで、なにものにも代え難い尊さを全ての人が持っている。

だから、私は個人差という視点が好きです。