承認欲求の自覚と自己承認の萌芽
怒り、悲しみ、焦り。
私のこれらの感情や感情を基にした行動は、基本的に全て承認欲求の現れなんだなって先日ふと気づいた。
というか強烈に自覚した。
気付いたと同時に、気が抜けた。
「しょうもなー、そんなことだったんか。あほくさ。」
自分の本当に求めていることが分かってなくて、だからなにをしても満たされない。
で、自分がなにを求めているのかを深い実感を伴って理解したとたん、良い意味でどうでもよくなった。
「私のことを認めて欲しい」
「私の存在、私が存在していることを承認してほしい」
「頭を撫でてよしよししてほしい」
「無条件の愛が欲しい」
私が他者に求めていたのはそんなこと。
それらの欲求を満たされないと次のような感じのことを思う。
「これだけやってあげてるのになんで応えてくれないんだ!」
「こんなに辛いのに分かってくれない」
「さっき私が言ったことであの人怒ってないかな?傷ついてないかな?」
「そんなことしちゃだめでしょ、ありえん」
「あの人に嫌われてるかもしれない」
「怒られるかもしれない、怖い」
「仕事でミスをした・・・怒られる、怖い」
「(仕事で)あれを早くできるようにならないといけない、じゃないと不安だ、見捨てられる、怖い」
「(仕事で)もっと忙しくたくさんの仕事をしないといけない、じゃないと不安だ、見捨てられる、怖い」
などなど。
私の価値観から外れたことを他者がしていると、私の価値観の否定=私を承認しない、私への拒絶ということになる。
私の周りの私よりも凄い(仕事の能力)人を基準として、その人以上にならないと怒られる(幼少期からの経験でそう思い込んでいる)、承認されない。
もしくは、分かりやすい優秀さを見せて初めて承認されたという幼少期の経験も根拠。
要するに、ありきたりな言い方をすれば「ありのままの私」では承認されないという強迫観念的なものとも言える。
私は以前、自己肯定感を持っていないところから、自己肯定感の芽を芽生えさせることができた。
でも、それは一番最初のステップ。
私も生きていてもいい、という感覚を持つことができた段階。
次は、ありのままの私でいい、という感覚を手に入れること。
今回、その「ありのままの私でいい」という感覚を持っていないのがどういう感覚なのかを理解できた。
それと同時に、ありのままの自分を承認できるのは、自分しかいないことも深く納得した。感覚的に。
他者からの承認は結果的に生じるものだし、自分がそう捉えるかどうかだけの話。
きれいに捉えれば、すごく温かいものをもらえる。
私のあらゆる行動は、他者からの承認を得ることが目的だったように思う。
承認してもらうために仕事で成果を上げる、人に優しくする、尽くす、我慢する、怒らない、おせっかいをする。
全部、大なり小なり他者からの承認が目的だった。
私がやっていたことは、承認の強盗?とも言えるかもしれない。
私が私の剥き出しの命を手に持って、「これなでて!褒めて!承認して!」っていろんな人にぐいぐい押し付ける。
それと同時に、私の中の幼く繊細な私が、私の命を両手で必死に抱きかかえて、命が壊されないように守っている。
全てが致命傷になると信じて。
他者から承認さなかったら、私の命が深く大きく、鋭く傷つき、その悲しみから目を逸らすために、相手に怒りを向ける。
私は正しい、相手が間違っている、とか。
私がやっていた、「自分で自分を承認できないから他者からの承認を求める」という行為をやっている私の心は、たぶんこんな感じ。
行為と結果、私の行動と他者承認の順番が逆だ。
純粋な向上心や自他への愛、道徳心。
それに従って生きている結果、他者から承認されたりされなかったりする。
でも、そういう生き方は、他者からの承認をそもそも求めていない。
そういうことだよなー、他者からの承認はどうでもいいことなんだな。
他者から承認されたかどうかは認識しだいだし、絶対的なものでもないし、なによりも私がコントロールできるものでもないし。
って感じるようになった。
まだまだこの感覚は不安定だけど。
私の他者承認についてはこんな感じ。
じゃあ自分から自分への承認、自己承認はどうする?
これからいろいろ試してみようと思う。
とりあえず、いま一番「いいねこの方法!」って実感しているのが、自分への語り掛け。
いろんな言葉や表現をやってみて、いまはこのフレーズがすごくいい。
「君の価値はなにも変わらないよ」
自分以外の出来事では、私の価値は何も変わらない。
なにが出来るとか、誰に嫌われているとか、なにを持っているのかとか。
そんなことは、私の価値にはなにも関係ない。
それらはファッションのようなもの。
外見は人からよく見えるから、ファッションでその人の印象はすごく変わる。
その印象が、私の価値だと信じていたように思う。
より洗練されたおしゃれな、高価なものを身につけることが、他者から承認されるために必要なことで、それをやらないといけない。
でも、ファッションは私そのものじゃない。
私とは裸の私。
それはどんなファッションをしてても変わらない。
そういうことなんだと思う。
だから、なにがあっても、他者が私のことをどう思おうと、私の価値はなにも変わらない。
そういう意味で、私は私に語り掛けることを始めた。
「大丈夫。君の価値はなにも変わらないよ。そのままでいいんだよ。生きていてくれてありがとう。」
これから、自己承認をしっかり強めて当たり前のものにしていくために、いろんなことをやってみようと思う。